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国家(=公教育)は精神的自由を保障するのか〜ココロ裁判一審判決に寄せて
<【あきらめねえっと通信】第4号より>

国家(=公教育)は精神的自由を保障するのか
ココロ裁判一審判決に寄せて



学校現場に内心の自由を求め、「君が代」斉唱を憲法に問う裁判
原告 竹森真紀


 四月二六日福岡地裁で、九六年提訴から九年という歳月そして三三回という長期弁論に及んで係争したココロ裁判の判決がなされました。
 冒頭、「被告北九州市教育委員会が平成一一年七月一九日付で原告稲田純に対してした減給一ヶ月処分を取り消す」との判決に法廷内は湧いた。そして、次々と、減給処分取消の主文が読み上げられていった。ある意味、信じられない「勝ち」判決を私たちは現実にこの目と耳で確認したのだ。戒告以下の処分については棄却され、その余の請求についてはすべて主文においては棄却されたが、この勝利の重みを思えばそのことは特に「敗け」ではない。私たちがほぼ二〇年にわたって発信し続け、九年近い弁論で問い続けたその司法の判断は、処分の取消という最大の勝利を勝ち取ったと確信する。
 この事件を少し振り返る。北九州市教育委員会は一九八五年の文部省による「国旗国歌の徹底通知」(初めての卒入学式における日の丸・君が代全国一斉実施調査)後、「国歌斉唱時には起立して、心を込めて、正しく、斉唱すること」との内容を含むいわゆる「四点指導」という「指導」と言う名の下の強い拘束力を持った通知をなした。これは、今も尚全く同様の形式で続いている。この市教委による「四点指導」を受けた校長が「起立斉唱」を求めた職務命令を発しそれに違反したということで、一九八七年の厳重注意から始まってこれまで減給3ヶ月を最高として懲戒処分がなされ続けてきた。これは、ある種北九州市教育委員会の行き過ぎた全国でも異例な「君が代」処分ではある。しかし、文部省の通知に沿った処分であることも間違いなく、また「国旗国歌法制化」以降、広島や今東京でも「不起立」の教職員が処分されていることを思えば、単なる北九州市だけの問題ではないことは明らかではある。ただ、すでに八九年に「不起立」で懲戒処分がなされ、現在のココロ裁判原告らが人事委員会などで係争し、九六年には裁判で係争することとなっったという事実はあまりに世間では知られていなかった。
 今回の判決では、この二〇年にわたってなしてきた「4点指導」に対して、「教育委員会による指導は、国歌斉唱の方法を提示するにとどまらず、実施状況を監督するものであり、校長は従わざるを得ないという事実上の拘束を受けていたとし、このことは教育基本法一〇条1項の「不当な支配」に当たる」と断じた。また、その前提として被告が「4点指導」や「学校長の職務命令」や本件処分の法的根拠としてきた学習指導要領の法的拘束性についても本判決は、「学習指導要領は大綱的基準であるとした上で、卒業式の細目にわたっての拘束力を持つものではない」との判断をなしたのである。
 本件処分は端的に言えば、「学校長の職務命令違反」であり「君が代」斉唱時の着席行為が違法行為として処分がなされているわけであるが、判決は被告が主張としてなしてきたこの「着席行為」が信用失墜行為にあたるという点についても、被告がその事実を立証できなかった(文書提出命令にも違反し提出しなかったことをもって)として、被告主張は退けられた。すなわち、原告らの「着席」行為は何ら公務員としての信用を失墜するものでもなく、減給処分取消の理由としてあるように「式の進行に混乱がなかったことや、原告らの教員としての適格性を疑わせる他の事情がない」ことをさらに裏付けたのである。これまでの「君が代」処分で係争されたケースにおいて、行政の手続違反で取り消された事案はあるが、本件は「式の進行に混乱がなかったことや、原告らの教員としての適格性を疑わせる他の事情がないことを考慮すると、直接、生活に影響を及ぼす処分をすることは、社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権の範囲を逸脱した」として取り消されたことが画期的なのである。
 私たちは、この画期的な勝訴判決を勝ち取ったことをもって北九州市教育委員会へ早急な控訴断念と「4点指導」の撤回を求める。司法判断を待つまでもなく、私たち原告が問い続け、抗い続けてきたこの二〇年近い年月は、現場的にはすでにこの判決が示した地平を勝ち取りつつあったとも言える。そして、今同じように東京都で起こっている「君が代」処分弾圧は、止まるところを知らないかのように見える。しかし、弾圧によって「ここに自由はなかった」と気づくところから本当の闘いは始まり、与えられた自由ではなく自らが奪い取る「自由」を生み出していいけるのだと思う。学校には本当に「自由」が保障されているのか、果たしてその「自由」を保障できるのは誰なのか、あらためて問いかけなければならない時が来た。今年は、戦後六〇年、奇しくも「憲法」が戦後初めて「国民」の話題になった年といえるかもしれない。遅すぎることはない。「自由がない」と気づいた人から声を上げていこう!
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